集中しないことで人間本来の能力が発揮できる〜森博嗣『集中力はいらない』より

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「集中力」は一般的には良いものとして認識されています。

本屋のビジネス書コーナーや自己啓発書コーナーに行けば、「集中力」に関する本がいっぱいあることに気づくでしょう。

スポーツの世界や勉強の世界でも、なにより「集中力」が勝負を決めると思われています。

それは一面の真実ではあります。そのことも森博嗣自身も認めている。集中力が必要な場面というのは、確かにある、と。

しかし、集中力を礼賛するあまり、その弊害については無頓着になっているのではないか。そういうことを森博嗣は『集中力はいらない』という本の中で述べています。

集中力の弊害。それは、集中すると人間の能力が発揮できないということです。裏返せば、人間本来の能力とは、集中しないことで発揮できる。

「集中する」とは、言い換えれば「機械のようになる」ということです。機械は、脇道にそれたり、余計なことを考えたりしない。疲れを感じたりすることもありません。あるひとつの作業を集中して行います。それが機械というものです。

「集中する」ということにおいて、人間は機械に敵いません。今、将来的にロボットやAIに仕事を奪われる不安があちこちで語られていますが、集中力を要する仕事は、やはり奪われてしまうでしょう。

もっとも、そのことについて森博嗣は「それで良い」と言っていて、私も同意見ですが。

今後、機械化がさらに進み、AIが人間に代わって多くの仕事をこなすようになる。仕事がなくなると危惧する声も多いが、仕事なんてなくなれば良いのではないか、と僕は考えている。機械に任せられるなら、任せれば良い。人間は今よりも自由になる。自由になったら、無駄な道草をして楽しめば良い。

これまで、社会が人間に「集中しなさい」と要求したのは、結局は、機械のように働きなさいという意味だったのだから、そろそろその要求自体が意味を失っている時代に差し掛かっているということである。

話を戻しますが、集中力は「機械的な能力」であって、人間本来の能力は、その反対になります。その能力を、森博嗣は「分散思考」と呼んでいます。

分散思考というのは、その名のとおり、思考があっちこっちに飛んだりしてまとまらない様のことです。これは、すべての人間が経験していることだと思いますので、詳しい説明は不要でしょう。

重要なのは、その分散思考からなにが生まれるのか、という点です。簡単に言えば、アイデアや創造性といったものが、分散思考から生まれます。

たとえば、アイデアというのは集中力からは生まれません。あるひとつのテーマについて、少しでも関連があるもの、または一見すると関連がないものを次々と発想していく。その中から優れたアイデアが見つかります。この「次々と発想していく」というのが、まさに分散思考なのです。

森博嗣は、現在は作家、その前は研究者と、どちらも創造性が重視される職業に就いています。そのため、分散思考の重要性に気がついたのでしょう。

また、もうひとつ重要な点として、森博嗣は「思考」がすなわち「人格」であるとも述べています。

ようするに、人間は、「思考」を人格だと知っていて、考え方が優れている人を、優れた人であると認識しやすい。人が他者を尊敬するときには、その人の言葉だけではない、考え方が立派だと感じるからである。考え方は、なかなか表には出てこないが、沢山の場面で、その人の発言や行動から総合して感じられるものなのだろう。

これには、なるほどと思いました。

『集中力はいらない』。創造性の話だけでなく、人間本来のあり方や将来の仕事のあり方を考えるうえでも、大事な指摘をしている本です。

集中力はいらない (SB新書)

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