『書ける人になる! 魂の文章術』読書メモ

著者のナタリー・ゴールドバーグは言う。「文章修行の大きな目標のひとつは、自分の心と身体に対する信頼を培うこと、つまりは、忍耐と非攻撃的な心を育てることだ」と……。

これはテクニック書ではない。書くことに対するメンタル面にフォーカスした本だ。

必要なテクニックはただひとつ。真実を伝え、詳しく描写することだ。自分が知っていることを書く。自分の思考と感情を信頼するのだ。

本のなかで、たびたび片桐大忍老師という人物が登場する。老師は著者にこう言った。「書くことを自分の修行にしたらどうなんだい」。座禅のかわりに執筆せよ。

ものを書く道具はなんでもいい。条件はひとつ、「世界中で一番くだらないことを書いてもいいんだ」という気持ちになれること。

手を動かし続けろ。止めてはいけない。文法? 論理? そんなものは二の次だ。自分の心が見て、聞いて、感じていることを書き殴るのだ。「傑作を書いてやるぞ」なんて気負いは いらない。目的すら不要だ。書いている最中は、自我は消え失せているべき。無我の境地に至れ。

なに? 真っ白なページをまえにしたら、なにも書くことが思い浮かばない?

では、題材リストを作ろう。なにか題材を思いついたら、ノートの切れ端でもスマホでもなんでもいいから、すぐに書き留めるのだ。

文章は上手なのに、なかなか書き出せない男がいた。著者は、その男のことをこう述べている。

彼が書けなかったのは、あらかじめ書くことを決めて紙に向かったからだ。もちろん、机に向かったときに自分がなにを言いたいかわかっていてもかまわない。ただしその場合は、その表現が自分の内部と紙の上に自然に生まれ出るようにしなければならない。書く内容を決めてかかってはいけない。表現をコントロールするのではなく、それが必然に応じて出てくるようにするのだ。

どういうことか? つまり、題材はあらかじめ考えておいてもいい。ただし、すべての内容を最初から決めてかかってはいけない、ということだ。

なにを書くにせよ、ディテールからは逃れられない。そこで重要なのは、自分独自のディテールを使うこと、すでに身の回りにあるものを違った目で見ることだ。

文筆の世界でよく言われるのは「語るより見せろ」。これはたとえば、怒りについて書くのではなく、自分を怒らせたものを具体的に示せということだ。

文章には生命を宿らせよ。人から聞いた話をそのまま書くのは、ただの受け売りだ。自分が話のなかへ入っていって、はじめて生命が吹き込まれる。

テーマにも同じことが言える。著者は言う。「あなたが見出したいのは、テーマの辞書的定義ではなく、テーマと自分との関係であるはずだ」。そのとおりだ!

書くことに没頭すると、場所はどうでもよくなり、自立感と安定感がみなぎってくる。場所はどうでもよくなるとは、外界を閉め出すことではない。むしろ外界の存在をすべて許すことによって、場所は問題ではなくなり、没頭に至る。

片桐老師はいくつかの名言を残している。「道に迷うのは、迷子になることを恐れているからだ」。「叩きのめされたら起き上がりなさい。また叩きのめされたら、また起き上がる。何度叩きのめされようと起き上がるのだ」。自分の野心を達成しようと思うなら、これらの言葉をよく覚えておくべきだ。

登場する老師は片桐老師だけではない。ほかの老師も登場し、名言を残している。

たとえば、サンフランシスコの禅瞑想センターのベイカー老師曰く、「“なぜか?”というのはまずい質問だな」。物事は理由などなく、ただ存在するからだ。「なぜ、私は文章を書くのか?」。そんなことはどうでもいい。重要なのは「なにを書くか?」だ。心理分析は必要ない。ただ、あなたの心が書きたがっているのなら、その声にしたがえばいいだけだ。

鈴木俊隆老師も言う。「人をコントロールするいちばんよい方法は、存分にふざけてもいいんだよと言ってやることだ。そう言われた人は、広い意味でコントロールされた状態になる。羊や牛をコントロールするには広々とした牧場に放してやればいいが、それと同じことだ」。ここでいう「人」は他人にも自分にも当てはまる。

また、鈴木老師には興味深いエピソードがある。彼が死ぬ直前、友人である片桐老師が最後の言葉を聞きに行った。鈴木老師は言った。「死にたくない」。彼は自分の心が感じたことをそのまま表現したのだ。片桐老師はお辞儀をした。「どうもご苦労様でした」。

これが禅だ。これが素直さだ。これがありのままの自分を受け入れるということなのだ。

ところで、ほかの文章の本だと「毎日継続して書くことが大切だ」と述べているものが少なくない。だが、著者はこのような意見には否定的だ。

「毎日書く」という規則をちゃんと守っていても、ちっとも上達しない人がいる。そういう人たちはただ従順なだけ。“いい子ブリッ子”の生き方だ。その気がないのに規則にただ従おうと一生懸命になるのは、エネルギーの無駄使いというもの。自分にもそんな気配があると思えたら、しばらく書くのをやめてみよう。

(中略)

「毎日書くこと」というようなきまりを作って、無感覚にノルマをこなすようなことはやめてもらいたい。

なにを書くにせよ、大切なのは素直さだ。だが、書くことをノルマにしてしまうと、素直さから遠ざかる。それは駄目だ。

無論、他人に文章を公開する場合には、編集や推敲といったプロセスが必要になる。そのプロセスでは、あなたはサムライになるべきだと助言している。サムライになるとはつまり、自分が書いた文章のなかで、存在感がない部分をばっさり切り捨てよ、という意味だ。

本書では、「孤独」というテーゼにも触れられている。物書きに孤独感はつきものだからだ。

人間は孤独に対してどのように対処すればいいのか? その方法は……ない! 一切ないのだ!

著者は離婚を経験した直後、片桐老師にこう尋ねた。「老師、私は孤独に慣れることができるでしょうか?」。老師は否定した。「いいや、それはできん。わしは毎朝冷たいシャワーを浴びるが、そのたびにブルッとくる。しかし、それでも立ちつづける。孤独とはつらいものだが、めげずにその中でしっかり立つことを学びなさい」

人間は孤独から逃れることはできない。結婚し、家族と一緒にいる人でも、いつかはひとりっきりになる。孤独のつらさは克服できない。私たちができるのは、孤独のなかで立つことだけなのだ……。

それでも、なんらかの成功を得ることができれば幸せになれるかもしれない……という希望を抱いている人もいるだろう。だが著者は、そのような甘い希望も切って捨てている。

次のことはぜひ知っておいてほしい。みんな、成功とは幸せな出来事だと思い込んでいる。しかし成功は、寂しく、孤立無援で、がっかりするような体験にもなりうるのだ。成功とはあらゆるものである、と考えたほうがいい。

そして、こうも言っている。

寂しいのは人間の条件なのだ。

私たちは人間だ。人間であるかぎり、寂しさからは逃れられないのだ。だから受け入れよう、寂しさを。

最後に、後半の著者インタビューから一番心に突き刺さった部分を引用して終わりたい。

「自分の言葉を信じる」というのは、自分の言葉を重視し、それに耳を傾けることだ。私は自分の心の一貫性を信じている。

書けるひとになる! 魂の文章術

書けるひとになる! 魂の文章術

  • 作者:N・ゴールドバーグ
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2019/11/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)