王よ永遠なれ~『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』感想

まちがいなく、この映画は宗教である。その宗教の名は「ゴジラ教」。『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』はマイケル・ドハティ監督の信仰の告白にほかならない。

ドハティ監督はゴジラを信仰している。それは本作の端々から感じられることだ。この映画を見た誰もが思うことだが、明らかに人間キャラクターの描写よりも怪獣の描写のほうに力が入っている。そして、それは怪獣たちが世界を蹂躙しながら戦争をする本作において、まったく正しい描き方だ。

本作の人間たちは狂人ばかりだ。ゴジラへの愛が全身からあふれている芹沢博士が味方側にいると思えば、敵側は世界中に眠る怪獣たちを目覚めさせて人間を虐殺しようとする環境テロリストだ。主人公はなにやら家族愛に悩まされているが、そんなものはこの世界観のなかではちっぽけな問題に過ぎない。なぜこうなってしまったのか? もちろん、怪獣描写のほうに力を入れたかった、というのはあるだろう。しかし、もっと根本的な問題として、怪獣たちが終末戦争を繰り広げる世界のなかでは、狂人でなければ怪獣と相対できないからというのが一番の理由ではないか。

先に「怪獣たちが終末戦争を繰り広げる」と述べたが、その主役となるのは2柱の大怪獣、ゴジラとキングギドラだ。そしてゴジラが主役側である以上、キングギドラは悪役になるわけだが、本作のギドラは竜巻を起こし、雷鳴を呼ぶという、まさに神のような強大さをもって君臨している。このギドラの描写は重要で、観客に対し否応なく、神話の戦いを想起させる効果を持っている。

そして忘れてはならないのが、サブ悪役としてのラドンの重要性だ。ぶっちゃけると、ラドンはギドラを引き立てるための当て馬に過ぎない。しかし、彼は当て馬として最高の仕事をしている。

まず、火山のなかから噴火するかのように登場し、地元の伝説で「炎の悪魔」と呼ばれていることが判明する。次に翼を広げて飛行するのだが、その際、発生するソニックブームでラドンが通過した街が壊滅してしまう。その後、高速戦闘機とのドッグファイトで圧倒し、人間側に絶望感を与える。ここまで充分に描写したうえで、ラドンはギドラと対決し、敗北する。そして「あのラドンよりも強いギドラ」ということで、観客・作中人物の双方がギドラの恐ろしさを直感的に理解するのである。さらにいえば、だからこそ、ラストのゴジラ対ギドラの戦いが盛り上がるのだ。

これこそ、最高の怪獣プロレスであろう。この映画には怪獣プロレスの面白さがすべて詰まっている。

先に庵野秀明が監督した『シン・ゴジラ』は最高のゴジラ映画を描くというコンセプトだった。一方、本作が目指したのは最高の怪獣プロレス映画だ。そして怪獣プロレスの果てに、「ゴジラこそが最高の怪獣なのだ」と描く。『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、『シン・ゴジラ』とは別方向でゴジラを極めた作品なのである。

最後に、本作でひとつだけ残念な部分を。作中で重要なワードである「王よ永遠なれ」という言葉だが、これが日本語訳では「王が目覚めた」になってしまっていた。これでは「王よ永遠なれ」に込められたゴジラへの崇拝が伝わらない。この翻訳は本当に残念だった。

せめて、この記事ではゴジラへの崇拝を素直に表明して終わりたいと思う。

「王よ永遠なれ」

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(オリジナル・サウンドトラック)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(オリジナル・サウンドトラック)