弱肉強食の高尾山

先日、急に母から「高尾山に行きたいから付き合ってくれ」という申し出があり、これを了承した。理由は聞いていない。おそらくゴールデン・ウィークらしいことがしたかったのだと思われる。

そういうわけで高尾山を登ってきた。人がたくさんいた。日本人だけでなく、北欧系や中東系の人もいた。4月末の平成最後の日は、御朱印を求める人々でもっと混雑していたらしい。もしその日に行っていたらたまったもんじゃなかっただろう。

令和だからか(?)、山は涼しかった。登りは大変疲れる運動だったが、緑が広がる眺めは絶景だった。良きであろう。

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しかし、そうした感想は人間側の視点でしかないこともまた理解している。その証拠に、ふと横を見れば、葉と葉の合間にクモの巣が張り巡らされていることに気づく。そこには哀れな小虫が絡め取られている。人間にとっては観光地である高尾山も、ほかの動物昆虫にとっては弱肉強食の場でしかない。

これは不自然なことだろうか。あるいは理不尽なことだろうか。いや、違う。弱肉強食こそが本来の自然のあり方である。地球から見れば、人間社会のほうがむしろ不自然なのだ。

人間社会は、弱肉強食の原理に逆らうことで平穏を保とうとしている。だがそのためには、みんながコストを払わなければならない。この場合におけるコストの代表格は税金だ。ところが、税金の話になると、誰も彼もが「誰が払い、誰が払わざるべきか」という方向へ行く。払うか、払わないかより、使い方のほうにフォーカスすべきだろうと思うのだが、残念ながらそっちの議論はあまり盛り上がらない。

そんなことを考えながら山を降りて、帰りにそばを食べてきた。せいろそばと麦とろ飯。そばが美味いのはもちろんだが、麦とろ飯も油断ならない美味しさだった。激しい味ではなく、やわらかい風が身体にしみるような食感だった。

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ところで、そのそば屋のトイレに入ったところ、高尾山のどこよりも強烈に山の香りがした。木の匂いを嗅いでいるという確かな実感があった。不思議なトイレだった。