情緒的長所が足りない

就活を始めたのにともない、自分の長所について考えを巡らせるようになった。履歴書では自分の長所を書かなければいけないし、面接でもそういったところをアピールする必要があるからだ。

いったい、僕には長所などというものがあるのか。それがあったとして、欠点が大きすぎて長所を打ち消してしまっているようにも思える。はたして、欠点で打ち消されている長所は長所と呼べるのか?

それでもなにかしらはこさえないといけないので、「遅刻はしない(病気・アクシデントを除く)」とか、「そこそこの文章は書ける」とか、「タスク管理の概念がわかる」といったことを挙げてみた。

そのとき、ふと気づいてしまった。

これらの長所は技能的なものでしかない。就職では有利に働くかもしれないが、愛を得るのにはまったく関係がない。

いったい、愛を得るためにはなにが必要なのか? 男であれば、年収や社会的地位が有利に働くらしい。しかし、そういうのがない男でも愛を得ている者は存在する。絶対的条件ではない。

そもそも、今の自分に年収や地位があったとして、愛を得られる自信があるかといえばまったくない。自分はそれ以前の問題だと思う。

自分に足りないもの。それは、いわゆる「情緒」と呼ばれるものだ。真の愛を獲得している人には必ず情緒がある。反対に、それがない人は屑なパートナーを引き寄せたりする(それは僕が求めるものではない)。

情緒がない、というのは言いすぎかもしれない。情緒的長所がない、と言い換えよう。

ともかく、自分に情緒面でどういう長所があるのかと考えたとき、特になにもないことに気づいてしまったのだ。これでは、たとえ健康で年収がたっぷりあったとしても、愛が得られないのは当然に思える。

情緒的長所を身につけなければならない。それがなければ人生はむなしいままだ。