Netflix『パニッシャー』シーズン2がいまいちだった理由

Netflixでドラマ版『パニッシャー』のシーズン2が配信されたが、その完成度は同シーズン1には及ばず、不満が残る出来となった。そうなった理由は、別々の動機で動くキャラクターたちをエンターテイメントとしてまとめきれなかったことにある。

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ストーリーの序盤にあたる第1話〜第3話までは文句なく面白い。特に第3話は、田舎の保安官事務所を舞台に、大勢の敵に追い詰められたところをパニッシャーが逆転していくという、ヒーロー物の王道的な展開で、素晴らしい興奮を与えてくれた。ところが、残念なことに、第4話からその勢いは衰えていってしまった。

不満点の具体的な解説をするまえに、これまでのストーリーを確認しておこう。

ギャングの抗争によって家族を失った男、フランク・キャッスルは、法を無視して悪を裁く処刑人「パニッシャー」となる。彼は、自分が海兵隊時代に関わっていた極秘作戦や、問題のギャング間抗争が何者かに仕組まれていたことを知り、復讐を果たしていく。その過程で、親友のビリー・ルッソが、実は黒幕の一味だったことが判明。死闘の末、ルッソの顔面をずたずたに切り裂いて勝利する。ここまでが同作シーズン1までのあらすじだ。

そしてシーズン2。第1話冒頭の時点でフランクはパニッシャー業を引退しており、優雅に旅を楽しんでいる。ところが、ふと立ち寄った酒場で、殺し屋に狙われている少女を助けたことから、新たな戦いが始まる……というストーリーだ。

シーズン1ではマイクロという中年男性とコンビを組んでいたが、今回は少女エイミーが相棒となる。そして敵は、聖書を引用しながらチョークスリーパーを決める牧師。どちらも面白くなりそうな要素ではあったが、それらが充分に活かされたとは言い難い。

なぜこうなってしまったのか。問題点を象徴しているのが上述のビリー・ルッソだ。ルッソはシーズン2においてもヴィランとして登場するが、立ち位置は前回とは異なる。シーズン1のラストで重傷を負ったルッソは記憶喪失になっており、そのことが彼を苦しめている。そして、失った記憶を求めながらも、結局は再び悪の道へ走るのだが、その描写がしつこい。第4話以降はルッソがうじうじと悩む様を何度も見せつけられる。さらに問題なのは、このルッソ個人のストーリーラインが、エイミーやチョークスリーパー牧師のストーリーラインとは一切関係ない点だ。結果として、エイミーや牧師のキャラクターの掘り下げは行われず、ルッソばかりがメインを張ることになる。

最悪なのは、これだけメインを張った割には、その最後はフランク以外の人物との戦いで瀕死になり、フランク自身はただとどめを刺しただけ、という展開だ。たとえば、『ブレイキング・バッド』で、ガスがサブキャラ相手に重傷を負い、ウォルターはそれにとどめを刺しただけという展開だったらどうか。間違いなく盛り上がらないだろう。それをこのドラマはやってしまった。

また、ヴィランがふたりいるというのに、主人公相手に共闘もしなければ三つ巴戦をするわけでもない。これは『デアデビル』のシーズン3が両方ともきっちりこなしてくれたことに比べると対象的だ。ルッソと牧師は最後まで本当に無関係。そのせいで、シーズン2のストーリーラインはふたつに分裂してしまっており、視聴者に対して無意味な混乱をもたらしている。

少女とのコンビ、チョークスリーパー牧師、記憶喪失のルッソ……これらはどれも単品なら面白くなりそうな要素をもっている。しかし、それらをエンターテイメントとしてまとめることができなかった。シーズン2の問題点をまとめると、そういうことになる。

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