ひたすらおっさんが哀れな話〜ドストエフスキー『貧しき人々』感想

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47歳のおっさんと18歳の少女の文通。その果てに待ち受けていたのは、ひたすら哀れなおっさんの姿だった……。

ドストエフスキーといえば『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』が有名で、処女作である『貧しき人々』はいまいち知名度がない。かくいう僕も、それまで本作を読んだことはなかった。たまたまKindleストアで本作を見つけて、ものは試しにと読んでみたのだが、これがまた悲しい話だった。

本作は、おっさんと少女の文通というかたちでストーリーが進行していく。共通点は、どちらも貧困であること。これは当時のドイツにおける貧困層の物語だ。

おっさんにとって少女はかけがえのない存在で、手紙の中で「天使」と形容するほどである。一般的に考えればロリコンっぽいのだが、そこは気にしないでおこう。少女の側もおっさんの好意を素直に受け入れており、また同時に、おっさんのことを気にかけてもいる。純粋な愛情だ。

前半から中盤までは、少女が過去にどんなつらい目にあってきたかだとか、おっさんが職場で大変な目にあっていることが語られていく。その中で、ふたりは互いに交流を深めていく。ここまではいい。しかし、後半になって、少女がブイコフという男からプロポーズを受けたことから、事態は急転直下する。

ブイコフが少女にプロポーズした理由はよくわからない。ひとつ確かなのは、愛情によるものではないということだ。ブイコフは少女にあれこれ指図し、少女もそんなブイコフを嫌っている。ブイコフと結婚しても幸せになれないだろうことを感じてもいる。

しかし、少女はブイコフとの結婚を決意してしまう。それによって遠くへ引っ越しせねばならなくなり、手紙を取り次ぐ人もいなくなることから、おっさんとの縁は完全に絶たれることになる。当然ながらおっさんは焦る。「結婚をやめてくれ!」。だが、おっさんの願いは聞き届けられることはなく、少女は行ってしまう。

なぜ、少女は結婚を決意したのか。実のところ、ここもよくわからない。少女は手紙の中で「よく考えた末に」としか語らない。この辺は多様な解釈ができるところであり、ドフトエフスキー研究者のあいだでもさまざまな意見があるらしい。なかには、「実は少女の存在はおっさんの妄想だったのでは」という大胆なものまである。

個人的に、最初に読んだ印象では、金の魔力に少女が負けて、おっさんへの愛情が失われたのではと思った。結婚の準備のために、おっさんをパシリ扱いするのがそれっぽいと感じた。しかし一方で、少女の最後の手紙では、おっさんへの感謝と愛情を綴ってもいる。そのことから、巻末で解説者は「ブイコフと結婚しても幸せになれないことはわかっているが、それでも人として生きていくためにはお金が必要なのだ」という旨を語っている。事実、作中の描写からしておっさんが少女を養っていくのは不可能だと判明しているので、これが一般的な解釈なのかもしれない。

唯一確かなのは、おっさんが哀れだということだ。そして、おっさんの哀れさは貧困の哀れさでもある。

互いのあいだに愛情があっても、貧困であるかぎり性は得られない。そうした現実的な悲劇は、いつの時代でも変わらない。

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)