「共感」について、面白い記事があった。
記事内では「効果的利他主義者」という用語が使われているが、結局のところ、どれだけ物事を客観視できるか、ということだと思う。
共感するとなぜ盲目になるのか。それは共感が主観にすぎないからだ。人は本当の意味で他人の気持ちを理解することはできない。だから「共感した」という感覚は主観にすぎなくて、もっとはっきり言えば「錯覚」なのだ。
困ったことに、共感ベースで動く人はこのことを理解していない。それどころか、「自分は他人を思いやれる、客観的な人間だ」と勘違いしている。だから自分の行動が本当に正しいのかどうか検討しないし、それによって長期的にはまちがった選択をしてしまう。
以前、別記事でコミュニケーションにおける共感の問題点について書いたけれど、物事の判断という面においても共感ベースで動くことは危うい。
共感が有効に働くのは、せいぜい目の前の人間を労るときくらいで、それ以外のシーンではなるべく客観的に判断したほうがいい。
「客観的に」というのは、「感情移入しない」ということだ。
共感によって人を助けるのは気持ちがいいが、だからといってそれが正しいわけではない。それどころか、人から「冷たいね」と言われるような判断こそが、世の中では往々にして正しいものだ。
上記の記事では戦争が例に出されているけど、これが経済や政治でも同じこと。共感という名の主観で物事を判断しているかぎり、それらが良くなることはない。