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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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僕と社交不安障害について(学生時代編)

雑記

僕は今年の6月に社交不安障害と診断された。

診断されたのは今年だが、実際に発症したのは、もう10年以上も前になる。

確か、中学3年のときだったと思う。ある日、僕は自分がくだらない人間だということに気づいた。きっかけは思い出せない。いや、きっかけなんてなかった。交通事故に遭うように、唐突に気づいたのだ。

それまでは何の臆面もなく冗談を口にできたのに、自分がくだらない人間だと気づいてからは、迂闊に口を開くことはできなくなった。

とはいえ、それでも残りの中学生活は問題なかった。3年間も一緒に過ごした友人たちには既に気心が知れていたし、何よりも、中学3年ともなれば受験で忙しい。

ところが、高校生になり、かつての同級生と離ればなれになってからは散々だった。他人とどうやって関わればいいのかわからなくなり、高校1年のときはほとんど周りと口をきくことができなかった。 また、その頃から公衆トイレが苦手になった。近くに人がいると、身体が緊張して、用を足せなくなってしまうのだ。

それでも、月日を経るにつれてだんだん周りと話せるようになり、高校3年の頃には基本的なコミュニケーションくらいならこなせるようになった。大学時代はサークルに入り、無難に卒業することができた。

だが、人付き合いが苦手なのは相変わらずだった。頻繁に顔を合わせている人たちなら、そのうち慣れてくるのだが、初対面の人となると、どう話せばいいのかわからない。また、そもそもとして、人付き合いで気力を消耗してしまうという問題があった。飲み会などの集まりは相当苦手で、騒がしい環境が苦手なこともあって、すぐに会話の輪から外れ、ひとりで黄昏れているというのが毎度のパターンである。

僕は、自分のこうした問題について、今までは性格の問題だと思っていた。自分の精神が弱いせいなのだと。 しかし、今年に精神科を受診したことで、それが間違いだったとわかった。本当は病気だったのだ。

正直に言えば、かなり複雑な気持ちである。病気なのだから治療の望みがあるのではないかと希望を抱く一方、もっと早くわかっていれば有意義な学生生活を送れたのではないかという悔しさがある。

どちらかといえば、悔しさのほうが強い。

10代の頃が人生でもっとも大切な時期であることに異論を挟む人はいないだろう。僕は、その年代をほとんど無駄に過ごしてしまった。無駄に過ごさざるをえなかった。たった一度しかない人生で、これは途方もなく悔しい。いったい何度、時間を巻き戻せないかと願ったことか……。 そして、20代の時間も、もはや終わりにきている。

今年の6月、僕は社交不安障害だと判明した。

それがなんだというのか。失われた時間は、二度と戻ってこないというのに。