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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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【書評】『変身』(フランツ・カフカ)

読書

変身(新潮文庫)

前に『絶望名人カフカの人生論』という本を読んで、久々にカフカの小説が読みたくなった。何を読もうかなと考えてから、『変身』をもう一度読んでみることにした。最初に読んだのはもう数年前になるが、今、改めて読んでみて、当時とは違った感想が浮かんでくるかもしれないと思ったからである。

あらすじは有名なので、知っている人は多いだろう。ある日、眠りから目覚めると虫になっていたグレゴール・ザムザという青年の物語である。とは言うものの、実は物語というほどの起伏に富んだ展開はない。虫になったグレゴールは、家族に不気味がられ、ふとしたことがきっかけで殺されかけ、最後には力尽きて死んでしまう。人間の姿に戻れたとか、虫の姿でも家族に受け入れられたとか、そういう甘い展開は一切ない。ただひたすら虫になった青年の苦しみだけが描かれる。

最初に読んだとき、あまりに救いがない話だと思った。今回も、その感想はやはり変わらなかった。ただ、カフカのネガティブさを知ってから読むと、やはり、彼がこれを書いたときの心境に思いを馳せずにはいられない。

カフカは、自分の外部にはほとんど興味を示さない人物だった。彼の関心はもっぱら自分自身だった。よって、この小説も、自分への関心から生み出されたものであることは間違いない。

虫になるまで、グレゴールは一家の稼ぎ頭だった。父は仕事を引退して既に5年、母は喘息持ち、妹はまだ17の少女である。従って、グレゴールが虫になってしまったことで、当然ながら一家は貧困に陥る。しかし、それがかえって、グレゴール以外の家族の生存力を発揮させる結果となった。父は勤めを再開し、母は裁縫の内職をはじめる。妹は売場の店員をしつつ速記とフランス語の勉強をやりはじめる。一家は、グレゴールが当初危惧したように彼抜きでは暮らしていけないどころか、彼がいなくても充分やっていけるバイタリティがあった。父と母、妹が自立してくるにつれ、むしろグレゴールの存在は邪魔になってくる。

一方、現実のカフカの生活はどうであったか。客観的にはともかく、カフカ自身の認識として、普通の人と同じように仕事をするだけの体力はなく、何もかもが不安で仕方がなかった。情熱を燃やすことができるのは文学だけで、その他はなんにも上手にできなかった。父親が嫌いなのに家を出て自活するだけの能力もなかった。自分が家族の荷物になっている、という認識は間違いなくあったはずだ。

『変身』で描かれるのは、家族に迷惑をかけたくないと思いながらも、自分の存在のために迷惑をかけてしまう男の悲しさと憐れさである。最後にグレゴールが死んでしまったあと、残された家族は重力から解放されたような晴れ晴れとした様子を見せる。これを「家族への愛情」と解釈する読者もいるようだが、僕はそうではないと思う。この描写は、「自分さえいなければ」というカフカが内に秘めている想いそのものだったのではないか。

この小説を、カフカは友人たちに笑いながら朗読していたという。それは決して面白くて笑っていたのではなく、このような悲劇はもはや笑い飛ばすしかないという、カフカの悲哀の表れだったと、僕は信じる。

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