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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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【書評】『彼女は一人で歩くのか?』(森博嗣)

読書

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)

森博嗣の『彼女は一人で歩くのか?』という小説を読んだ。とても面白かった。僕は森博嗣の本(小説・エッセイに限らず)が結構好きで、よく読んでいる。おそらくファンと呼んでも差し支えないと思う。ただ、森博嗣ファンのなかには100以上ある作品を全部読んだ人とか、神様と崇めている人もいて、そういう人を見ると、「やっぱり僕はまだファンじゃないのかも」なんて思ってしまう。

いきなり話がそれたので、背表紙のあらすじを紹介して本筋に戻ろう。

 ウォーカロン(Walk - alone)。「単独歩行者」と呼ばれる、人工細胞で作られた生命体。人間との差はほとんどなく、容易に違いは識別できない。
 研究者のハギリは、何者かに命を狙われた。心当たりはなかった。彼を保護しに来たウグイによると、ウォーカロンと人間を識別するためのハギリの研究成果が襲撃理由ではないかとのことだが。
 人間性とは命とは何か問いかける、知性が予見する未来の物語。

この作品はWシリーズと呼ばれるシリーズの最初の作品で、あと何作か続くらしい(作者の公式サイトには「10作くらい続けるつもり」とある)。『すべてがFになる』でおなじみのS&MシリーズやVシリーズ、Gシリーズなどの延長線上にある未来世界が舞台だが、別に過去作品を読んでいなくても楽しめる。

あらすじを読めばわかるように、本作にはウォーカロンと呼ばれる人造人間が存在する。人工細胞で作られたウォーカロンに人間との差はほとんどなく、また人間自身も、人工細胞を移植することでウォーカロンに近づいている。そんな世界が舞台だ。

この世界では、癌などの病気は克服され、寿命も大幅に伸びている。たとえば、主人公のハギリは80歳なのだが、まったく老人っぽさは感じない。細胞を入れ換えてしまえば若い肉体を保つことも可能なので、もはや「老人」という考え方そのものが時代遅れになっているのかもしれない。

この設定は、まったくのフィクションだと笑い飛ばすことはできない。現在でも、このまま医療技術や人工細胞が発展していけば、病気は根絶され、老衰死もなくなるだろうと予測されているのだ。以前、そういうコラムを読んだことがある。「人間は年とともに老人になって天寿をまっとうするのが正しい生き方だ」という思想の人は眉をひそめるかもしれない。ほかの小説や漫画なんかでは、「不老不死は自然に反する間違った考え方だ」とたびたび否定されがちだが、現実には不老不死の実現に向けて人類は進んでいる。

それはともかく、ユートピアのようなこの世界にもひとつ大きな問題が発生している。人間や動物のなかに新しい生命が誕生しなくなっているのだ。もちろん、人工的には生み出すことが可能なので、あくまで自然に受精しないという意味である。

そのような問題が起きているなか、ある日、何者かに突然命を狙われたハギリは、ウグイという女性に守られながら、ほかにも命を狙われている学者たちと接触していく。そのなかで、「人間とは何か」というテーマを考察をしていくというのが、本作のストーリーだ。

ハギリの身に起きた事件を通して、このテーマを一緒に考えていくのが、この作品の面白さである。もう一度繰り返すが、作中の世界はまったくのフィクションではない。いつか実現するかもしれない未来なのだ。だからこそ考える楽しみがある。

さて、このテーマに対して僕の意見を言わせてもらうと……正直なところ、「これが人間だ」とはっきり答えられるほど明確な論理は持ち合わせていない。ただ、やはり思考形態がひとつの指標になると思う。論理の飛躍や突飛な発想ができるか、そしてそれを組み替えて体系立てることができるか、この辺が焦点になるだろう。肉体の機構は、大して重要ではない。本作のウォーカロンは有機体だが、機械的なボディでも全然構わない。思考形態さえ人間的であるなら、どんな姿をしていても人間だ……と思っているのだが、一方で、肉体の有無が思考に与える影響もあるのでは、肉体が別なものになると思考形態も変化してしまうのでは……という疑問も拭い切れない。難しい。いつか科学が、この難題を解き明かす日が来るのだろうか。