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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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【書評】『孤独の価値』(森博嗣)

読書

孤独の価値

森博嗣の『孤独の価値』という本を読んだ。このように書くとまるで初読のように聞こえるが、実はそうではない。この本は、発売されたばかりの頃に買って読んだ。その当時、僕は孤独で淋しさに押しつぶされそうで、自分にはなにか欠陥があるのではないかと悩んでいた。しかし、この本に出会ったことで、孤独も悪くないと思えるようになった。それ以来、胸に淋しさが去来すると、この本を読んで「淋しいのは悪いことではない」と再確認している。つい先日も読んだところだ。

孤独というと、一般的にはマイナスのイメージがついている。「あいつはいつも1人ぼっちで孤独だ」といったふうに。また、「孤独でつらい」というような苦しみを抱えている者も多い。

本書は、そんな孤独をいかに解決するか、といった内容ではない。むしろ、孤独を推奨し、いい側面を取り上げ、一般的な悪いイメージが実は作られた虚構であることを論じる。同時に、「なぜ孤独を苦しく感じるのか」といったことにも触れ、孤独を肯定的にとらえられるようになる考え方を紹介する。

孤独に悪いイメージがついていることに関しては、「メディアの影響だ」と著者は言う。小説やドラマ、アニメや漫画などのエンターテイメント作品では、「絆」というものが強調されがちだ。また、犯罪事件のニュースなどでも、「犯人は孤独だった」とまるで孤独でいたことが悪いかのように報道される。そのため、これらを見て育った人間は、知らず知らずのうちに「孤独=悪」という思想を植えつけられる。

このような洗脳から生み出されるのは、「孤独を怖れ、人とつながる感動に飢えた人々」であり、これはすなわり、「大量生産された感動」を買ってくれる「良い消費者」にほかならない。企業はこんな大衆を望んでいる。社会は、こんなふうにして、消費者というヒナを飼育して、利益を得ているのだ。いうなれば、「家畜」である。僕には、こんな大勢は眠っているように(意思がないように)見えてしまう。

しかし、孤独や淋しさが悪いことだという根拠はどこにもない。孤独でも犯罪に走らない人は大勢いるし、何より、孤独であることを楽しんでいる人だっているのである。

孤独を楽しんでいる人とは、たとえば芸術家や研究者などがそうだ。芸術や研究に夢中になっている人にとっては、他人とのコミュニケーションは煩わしいだけだろう。もちろん、時折他人が恋しくなるだろうが、それも一時的なことで、毎日誰かとつながっていたいとは思わないはずだ。よって、これらの職業を目指せば、孤独をつらいとは感じなくなるだろう。実際、著者も、孤独を苦しいと感じる人に、「詩を作ったり、身の回りのものを研究してみてはどうか」と勧めている。自分にはそんな才能はないと思うかもしれないが、誰かに発表しようなどと考えなくていい。自分だけの趣味として気楽にやってみるのだ。

もちろん、「やはり誰かとつながっていなければ淋しい」と感じる人もいるだろう。そういう人は、遠慮せずつながればいい。現代は通信技術が発達したおかげで、簡単に他人と知り合いになれる。たとえば、SNSのコミュニティに入りオフ会に参加してみる、という方法がある。

ただし、本当の意味で常に自分と一緒にいてくれる人というのは存在しない。結婚した相手とも、いつかは死別するのである。あなたが孤独を嫌っても、孤独は必ずやってくる。そのときに備えて、ひとつくらい個人的な趣味は持っていたほうがいいだろう。

「孤独は悪だ」と教えられてきた人にとっては、著者のいうことはすぐには受け入れられないかもしれない。しかし、考え方を変えて、少しでも孤独を愛するように努力していけば、いつかは苦しみから逃れられるかもしれない。

僕は本書を読んだあと、目的もなく外を散歩して、適当に何枚か写真をとった。たったそれだけの行為でも、とても楽しいと感じた。これは、孤独でなければできなかった遊びである。世の中には「孤独でなければ味わえない楽しさ」というのが存在している。それを存分に味わえるのだと思えば、孤独も悪いことではないとわかるだろう。きっと、自由を感じられるはずだ。

自由になるのは何故なのか、自分は自由になって何がしたいのか、をもっと考えてほしい。というよりも、そもそも、それがさきになければ自由にはなれない。自由というのは、自分が思い描いたものを目指すこと、自分の夢を実現することだからだ。もし、そういった目標がしっかりと決まっていれば、あとはなんの問題もない。たとえ、自由のために絆を切って、その結果、孤独になったとしても、それは必ず「楽しい孤独」「素敵な孤独」になるはずである。

最後に、この書評記事を書いている時間は、とても「楽しい孤独」だったことを記しておく。この記事に限らず、僕がブログを書いているのは、それが楽しいからである。