『君の名は。』とはなんだったのか?

君の名は。

君の名は。

唐突に、ふと『君の名は。』を振り返ってみた。すると、内容のほとんどを忘れていることに気づく。

当時、この映画を見た感想をブログに書いた。ストーリーは褒める気にならないが、映像が綺麗だったので満足した、ということを述べた。しかし、今ではその映像の美しさでさえ忘却している。

『君の名は。』は近年のアニメ映画の中では特に話題になったタイトルだ。それなのに、もう忘れてしまっている。これはおかしなことだろうか。いや、そうではない。なんとなく、初見時からこうなるだろうという予感があった。

原因はだいたいわかる。この映画には「深さ」がなかった。

実際、ストーリーはベタ中のベタであり、特に目新しい点はない。ジャンルは恋愛映画だが、この恋愛部分もシンプルで、主人公とヒロイン両者とも、相手のことが好きだと自覚してからは、その感情に思い悩むことはない。正直なところ、恋愛面に関して言えば、同じ監督の『秒速5センチメートル』のほうがまだ深いことを描いていた。

『君の名は。』という映画は徹底してシンプルに、悪く言えば表面的な部分のみで構成されいてるのだが、本作がヒットしたのは、まさにその底の浅さによる。

現代のように、個人の好みが多様化した社会では、友達と一緒に語れる共通のテーマがなにかと不足しがちになる。そうした社会では、底の浅い作品のほうが、大衆にとっては都合がいい。なぜなら、作品の底が浅ければ浅いほど、手軽に共有できるからだ。実のところ、僕が『君の名は。』を鑑賞したのも、コミュニケーションツールとして利用するためという側面が大きかった。

ピコ太郎の『PPAP』が大ブームになったのも、まさしくこの理由による。意味という意味を取り払い、ペンとパイナップルとアップルだけのバカバカしいくらい単純なこの歌は、そのバカバカしさ故にネタにしやすく、共有もしやすい(もちろん、ピコ太郎氏はそれを狙ってやっている)。まさに時代の象徴ともいえる曲だった。

こうした時代について、僕自身は良いとも悪いとも言わない。ただそういう時代だというだけだ。

しかし、世の中には「売れているものが良いものだ」と考えている人が多く、そうした姿勢は問題だと思う。

これが経営者なら、「売れているものが良いものだ」と考えるのは当然だ。それは作品の内容が良いという意味ではなく、ただ単純に、利益が上がるから良いというだけの話だ。

だが、経営者でもない単なる消費者が「売れているものが良いものだ」などと考えるのは、どう見てもおかしい。フィクション作品ならなおさらだ。それはもう自分で感じること、思うことを放棄しているに過ぎない。

なにより問題なのは、「売れているものが良いものだ」という思想の根底には、作品を評価する自分たちは良い評価者だ、という無意識の前提があることだ。ひょっとしたら自分たちは悪い評価者かもしれない、という考えは露ほどもない。

こうした考えの人が出てきてしまうのは、資本主義社会の弊害といえる。あまりに資本主義が当たり前になってしまったので、自分の思考まで資本主義に毒されてしまっているのだ。

なにも資本主義を否定せよと言いたいわけではない。現在の社会が資本主義で動いていることは認めつつも、自分の心は、それとは一線を引いておこうというだけだ。自分で感じ、自分で思い、理屈をつけて評価する。そうしなければ、いつしか心の自由まで失ってしまうだろう。

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