『ゾンビ』は最高のゾンビ映画

いつの間にかNetflixに『ゾンビ』が追加されていた。そう、あのジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』である。この映画はゾンビ映画の祖であり、現在におけるゾンビ像を決定づけた作品として有名だ。

さっそく鑑賞してみた。『ゾンビ』を鑑賞するのは実に数十年ぶりだ。青白い顔をしたゾンビがふらふらと歩いている。うむ、これでこそゾンビだ。最近のゾンビは走るようになってしまい、ゾンビらしさが失われてしまった。

久々に鑑賞して感じたのは、「『ゾンビ』こそが最高のゾンビ映画である」ということだ。この映画はただのホラーではなく、普遍的なテーマを描いている名作だ。

『ゾンビ』が描いているテーマ、それは「人間の愚かさ」である。この映画は、ある日突然、死人がゾンビとなって蘇り、人間を襲うようになったという世界観だが、実はゾンビ自体は大した脅威ではない。噛みつく力と数の多さは恐ろしいものの、基本的に動きがのろく、知能も低いため、冷静に対処すれば切り抜けられる。ところが、一部の人間が暴走することによって、なんとかなったはずの事態が、どんどん悪化していく。

冒頭、強盗団によって占拠されたアパートに警官隊が突入するシーンでは、銃を乱射することに夢中になった警官のひとりが、うっかりゾンビがいる部屋のドアを開けてしまう。また、主人公ら4人組がショッピングモールに立てこもろうとする一連のシークエンスでは、ゾンビに襲われパニクった男が、トラックの中に忘れ物をしてしまい、それを取りに戻ったところでゾンビに噛みつかれてしまう。

そして極めつけは、終盤、ショッピングモールに強盗団が侵入してくるシーンだ。このシーンは強盗団こそ「人間の愚かさ」を象徴する存在だという解釈がある。それも間違ってはいないが、ここではむしろ、強盗団への対応が問題だった。強盗団が侵入してきた際、ショッピングモール内の物資が奪われることを嫌ったヘリボーイは、ピーターの制止を無視し、強盗団へ向けて発砲してしまう。その結果、モール内は強盗団、ゾンビ、主人公組の3勢力による戦場と化し、最終的にピーターたちはモールを放棄するはめになってしまった。ここでもまた、一部の人間の暴走によって事態が悪化してしまったのである。

このように、映画『ゾンビ』では、緊急時における人間の暴走を繰り返し描いている。ゾンビという未曾有の危機に対しても、一致団結するどころか、足を引っ張り合うことしかできない。そうした人間の愚かさを描いていることが、本作を名作に押し上げたのだ。