チャッピーと子育て

Netflixで『チャッピー』という映画を見た。映画自体はイマイチだと思ったが、子育てに関する部分は面白かったので、そのことを書いてみようと思う。

この映画には「チャッピー」という、人間と同レベルの人工知能がプログラムされたロボットがいて、このチャッピーを、開発者とチンピラ集団がそれぞれのやり方で育てていくというのが大まかなストーリーだ。

『チャッピー』の評価について

まず映画としてどうか、という点から述べると、「イマイチだなぁ……」というのが率直な感想だ。素人目に見ても話運びに矛盾点が多く、また、ラスト「それってどうなの?」と首を傾げたくなる展開になるのだが、その倫理的な問題に対して、何も反論を用意せず、投げっぱなしになっているところも気になる(個人的にはああいう展開は嫌いじゃないが、やはり、説得力を持たせる努力は必要だろう)。

全体的に見て、監督の前作『第9地区』に比べると見劣りする印象。まあ、この辺の問題点はほかのブログで書かれている方が既にいるので、深入りはしない。

光と闇の子育て

それよりも、この映画で描かれた子育ての部分が面白いな、と感じた。

序盤、AIプログラムをインストールしたばかりのチャッピーは赤ん坊そのもので、世の中のことを何も知らない。そこで、チンピラカップルと開発者がそれぞれものを教えていくことになる。

開発者は、チャッピーに絵を描かせたりして、クリエイティブな能力を磨こうとする。その中で、「自分の可能性を誰かに奪わせてはならない」みたいな、いわゆる「信念」について教える。

一方、チンピラカップルの男は、チャッピーに銃の撃ち方や、ギャングっぽい振る舞いを教えていく。そして、チャッピーをわざと外に放り出して不良に襲わせ、逆境を与えることで「強さ」を身につけさせようとする。

自分のやり方を押しつける男ふたりに対して、チンピラカップルの女は、とにかくチャッピーの自由意志を尊重する。そうすることで、チャッピーは「愛」について学ぶ。

一般的な良識からすれば、チンピラ男は要するに犯罪者としてチャッピーを育てようとしているのであり、この男はいらない、チャッピーの両親は開発者とチンピラ女だけで充分だ、と思う人もいるだろう。

しかし、チンピラ男の教えがあったからこそ、チャッピーはラストバトルを乗り切ることができたのだ。もし事前に「戦い」について学んでいなければ、チャッピーはスクラップと化していただろう。

また、ストーリー全体でいえば、チンピラ男が見せた社会の闇の部分があったからこそ、チャッピーは完全な存在として成長できたとも言える。

子育てを行うとき、多くの人は、子供には光の部分しか教えようとしない。社会の闇に関する部分は徹底的に遠ざけようとする。もちろん、それは子供が闇に惹かれないようにするためで、一概に否定はできない。

しかし、闇について一切教えないというのは、やはり行き過ぎだろう。世の中の暗部を子供に見せることは重要だと思う。光と闇の部分を一緒に見せることで、子供は、人間として大きく成長するのだから。