映画『ローガン』の凄さ

映画『ローガン』を鑑賞してきた。凄まじい映画だった。もっと気が利いた感想を述べたいのだが、何を書いても「凄い」のひと言に集約されてしまう。圧倒され、言葉を失った。これはアメコミ映画の到達点の1つだ。

本作の凄さを支えている要素に、間違いなくR指定がある。年少者お断りにすることで、思う存分、暴力が描写できている。といって、無駄にグロいわけではない。描かれ方は割りとあっさり目だ。だが、それでも本作には過激な描写──首が飛んだり、腕が切られたり──が必要だった。ローガンとローラ、この2人が内に秘めている野獣性を描くために。

ローガンはスーパーヒーローだが、スタイリッシュなタイプではない。金属の爪を振り回し、野生の本能で敵に飛びかかっていく。彼の遺伝子を受け継ぐローラもまた同じ。本作が映画デビューだというダフネ・キーンは、11歳とは思えないほどの演技力で、見事にこの野獣少女を演じきってみせた。戦闘シーンでは、アクロバティックに動き回り、爪を突き立て、獅子のように吠える。一方、非戦闘シーンでは、さびしさを抱えながらも、初めての外の世界に興味を示す。もはやダフネ・キーンなしに、本作は成り立たない。

これまでのX-MENシリーズでは「ウルヴァリン」だったが、本作のローガンは違う。ミュータントは絶滅の危機にあり、X-MENも既に活動を停止している。そんな世界において、ローガンは、ただのローガンに過ぎない。スーパーヒーローではなく、ただのミュータントであり、疲れきった男だ。彼は、ボケてしまったチャールズ・エグゼビアを介護しつつ、自分の死期が近づくのを感じている。

ローラがX-MENのコミックを持っているのを見て、ローガンは言う。「コミックは作り話だ。現実はこう上手くは行かない」。これはつまり、メタフィクション技法であり、「俺はコミックのウルヴァリンじゃない」と彼は言っているのだ。自分はヒーローじゃないと言っているのだ。そして実際、本作では、ローガンの人間的な弱さが何度も描かれる。

だが、そんなローガンも、最後の最後でヒーローになる。ローラとその仲間たちを救うため、彼は命をかけて追手と戦う。この瞬間、彼は再びウルヴァリンになった。その証拠に、ラストシーンで子供たちの1人が、ウルヴァリンの人形を抱えている。この人形を抱えている子供……いや、ローラも含めた子供たち全員の目には、間違いなく、コミックのウルヴァリンと目の前のローガンが同一人物に映っていたはずだ。

最初にX-MENの映画が公開されたとき、原作ファンの中には、キャラクターたちがコミック通りのコスチュームじゃなかったことを残念がる声があった。その後、X-MENの映画シリーズは、コミックを元にしつつも独自のストーリーを展開していったわけだが、ここへ来て『ローガン』は、コミックのウルヴァリンと映画のローガンの同一化を図ったのだ。そういう意味においても、本作はアメコミ映画の到達点の1つであり、だからこそ、ヒュー・ジャックマンが本作限りでローガン役を引退するのも頷ける。