美しい悲劇『草原の実験』

『草原の実験』という映画を見た。監督はロシア人。言語もロシア語だが、セリフは一切ない。無声映画だ。言葉がない世界で、広大な草原で暮らしている少女の日常と、その終わりを描いている。芸術に特化した作品で、メッセージ性が強い。この映画について、感想を述べてみたいと思う。

全編を通して美しい

「美しい」。本作を見た誰もがそう思うだろう。ショットの1つ1つが、それだけで写真として成立するほどクオリティが高い。この美しさは最初から最後まで一貫して続く。現実の世界を舞台にしているはずなのに、まるでファンタジーのようだ。

言葉で説明するより、予告編を見てもらったほうが、本編の雰囲気は伝わるだろう。

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個人的に印象に残っているシーンを挙げよう。1つ目は、父が羊を枕にして車の荷台で寝ているシーン。この冒頭のシーンで、本作が持つ独特の雰囲気が一発でわかる。

2つ目は、青い瞳の若者が、少女の写真を家の壁に投影するシーン。昼頃に少女と出会った若者は、一目惚れし、少女を写真におさめる。そして夜、再び現れた若者は、映写機を使って少女の写真を壁に映し、それを少女に見せる。セリフがないぶん、少女への気持ちがより伝わってくる。

そして3つ目は、核爆発のシーンだ。それまで描かれてきたものが、無残にも吹き飛ばされる。本作の肝となるシーンであり、タイトルの意味が判明する瞬間でもある。

旧ソ連の核実験

監督のアレクサンドル・コットは、旧ソ連が行った核実験に、本作の着想を得たという。

かつて、核開発競争の中で、ソ連は何度も核実験を繰り返した。実験場の中にはだだっ広い草原も含まれていた。ソ連政府は「草原は無人だった」と主張して実験を行ったのだが、それは嘘であり、草原に少ないながらも人が住んでいた。

政府の傲慢によって、突如として奪われた命。そんな悲劇を、本作は描いている。

こうした背景知識は、本来ならネタバレに当たる。ただ本作の場合、背景知識については事前に知っておいたほうがいい。そうでないと、ラストでいきなり核爆発が起こったとき、訳がわからないだろう。

美しさが弱点でもある

上述のとおり、本作の特徴はなによりも「美しい」に尽きる。

だが、その美しさが、同時に弱点にもなっている。

草原で暮らしている人々の命が、政府の核実験によって無慈悲にも奪われる。この悲劇こそが本作の肝なのだが、コット監督は、核爆発のシーンすらも美しく描いてしまっている。

少女と若者が、家の外にあるベンチに座っていると、草原の向こうで巨大な光が起こる。光は美しいキノコ雲となり、強烈な爆風がすべてを吹き飛ばしていく。爆風が間近に迫るのを見て、少女と若者は手を握り合う。そのまま2人は爆風に飲まれ、家も吹き飛び……というのが、ラストの一連の流れだ。

問題は、悲劇の象徴であるキノコ雲も、そして少女と若者が爆風に飲まれる瞬間も、美しさが持続している点にある。常識的に考えれば、美しく描かれたシーンというのは、「肯定」の意味が含まれている。そうすると、悲劇のシーンも美しく描いてしまうことは、「この悲劇すらもまたいいものだ」という印象を与えかねない。

核爆発のシーンは、もっと泥臭く描いたほうがよかったと思う。

また、美しさの強調によってファンタジックな雰囲気に仕上がっているが、それが核爆発で吹き飛ぶということは、「幻想が現実に帰っただけだ」という意味にも取れる。この場合、悲劇の度合いが薄れてしまうことになる。

全体を美しさで彩った本作は、美しさが持つ弱点も露呈させてしまった。そういう点もあり、いろいろ考えさせられる映画だった。

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