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「好きなことは全て実行する」という生き方

『ソース〜あなたの人生の源は、ワクワクすことにある。』という本を読み終えた。

前回は、本書の中の「直観と感情の違い」に関する部分だけを取り上げて記事にしたが、全体を通してみても得られる知見が多かったので、まとめてみたいと思う。

ソース・プログラムの概要

本書は、誰もが心の中に持っている「ワクワク」を基準にして生きることを提唱するものだ。著者のマイク・マクマナス氏は、この「ワクワク」を基準にして生きる方法を「ソース・プログラム」としてまとめている。

マイク氏が「ソース」という考え方に至った経緯、「ソース」を実践して得られたもの、他人が「ソース」を実行をするための方法などが、本書で学べる内容だ。

大別すれば、多くの自己啓発書と同様に、本書もまた「好きなことをして生きよう」と提唱している。一方で、そうした自己啓発書とは一線を画することも述べられている。詳しくは以下。

好きなことは全て実行する

ソース・プログラムの最大の特徴が、「好きなことは全て実行する」ことだ。これは文字通り「全て」であって、1つも取りこぼしがあってはいけない。言い換えるならば、「好きなことに優先順位をつけない」。

たとえば、飛行機のパイロットになる夢があったとする。普通の感覚なら、「パイロットになる夢を追うために、ほかの好きなことは我慢しよう」となるだろう。しかし、「ソース」の考え方においては、そのような真似は推奨されない。ほかの好きなことも同時に実行しなければならないのだ。

とはいえ、すべてに平等に時間を使えと言っているわけではない。1日は24時間しかないわけだから、時間配分はちゃんと決めなければならない。上記の例で言えば、パイロットになる夢のほかに、小説も書きたかったとする。しかし、パイロットになる勉強で大半の時間が費やされてしまう。その場合、小説の執筆に充てられる時間は1日30分程度しかないかもしれない。

だが、それでいいのだ。重要なのは、短時間であっても「好きなことは全て実行する」こと。「パイロットになりたいから小説家はあきらめる」というような、何かを犠牲にすることさえしなければいいのだ。

やることが多くても問題ない

しかし、好きなことを全部実行していると、やることが多すぎてストレスになるのではないか……と不安になるだろう。

だが著者は、そうした不安は杞憂だと述べる。「やりたくないことをやるのがストレスの本当の原因」であり、好きなことだけをやっているかぎり、ストレスが溜まることはないという。

こうした考えは、僕個人としても腑に落ちる。Twitterなどで、好きなことに打ち込んでいるはずなのに鬱病を患ってしまったという人を見かけるが、こうした人は、仕事上のストレスが激しいようだ。本来はやりたくないことを「仕事だから」と無理にやった結果、ストレスが増大し、鬱病になってしまったのだろう。

つまり、ストレスを減らすためには「好きなことに打ち込む」のではなく、「やりたくないことを減らす」ことが大切なのだ。

バランスをとる

「好きなことを全て実行する」に続いて重要なのが、「バランス」という考え方だ。

起業家にありがちなパターンとして、好きなことには一直線である反面、法律を無視したり、倫理的に問題のあることをして炎上するというケースがある。これは、周りを省みなかったことが原因だ。

あるいは起業家でなくとも、好きなことに夢中なあまり、家族や友人との関係が悪化してしまったという人は多い。

バランスとは、そうならないための考え方だ。ざっくばらんに言えば、好きなことをしていいが、ちゃんと社会のためになることもしなければいけない、ということ。

これは、「好きなこととは別に社会貢献をする」という意味ではない。「好きなことを活かして社会貢献しよう」というのが本質だ。

また、自分自身の生活についてもバランスをとる。好きなことばかりしていて何日も徹夜してしまった、というのは認められない。それで身体を壊してしまったら元も子もないからだ。

それに加えて、悪癖や中毒症状を「ワクワク」と勘違いしてはいけない、ということも著者は述べている。

ただしここで注意してほしいのは、悪癖や中毒症状を自分の生まれながらのワクワクと勘違いしないことです。朝から晩までゲームをしたり、家中をいつも掃除してあらゆる物の置き場所にうるさかったり、暇さえあればパチンコをしたり、怪我しても激しいスポーツをつづけたりなど、行動が極端な場合はワクワクではなく、心理的問題があると解釈したほうがいいと思います。

プラス因子とマイナス因子

自分の人生を、自分が望む方向へ変える。そのために、自分が使った時間やエネルギーに対して、どのような見返りがあるかという「投資利益率」を考えるべきだと著者は言う。

プラス因子とマイナス因子は、その投資利益率を考えるために用いる概念だ。

簡単に説明すると、なにか活動を行ったり、あるいは他人と会ったりしたとき、使用したエネルギー以上の見返りがあったものは「プラス因子」であり、その反対に、単に消耗しただけだったものは「マイナス因子」と呼ぶ。こうして自分に関係するものをプラス因子とマイナス因子に区別していき、マイナス因子を遠ざけ、プラス因子を呼び込むようにしていく。

また、消耗は少なかったが見返りもまた少ないようなものは「ゼロ因子」と呼び、これもマイナス因子と同じように遠ざける。

注意点として、マイナス因子は、一見するとプラス因子のように思えるケースがあること。そのとき、その瞬間は気持ちよかったとしても、あとになって振り返ってみたらまったくプラスになっていない。そういうものに気をつける。

たとえば、ゲームで遊んだあと、あなたは元気溌剌としているだろうか。それとも、疲れて気力が失われているだろうか。もし後者であるなら、ゲームをしている瞬間は楽しくても、ゲームはあなたにとってマイナス因子なのだ。

本当のプラス因子と偽のプラス因子を見分ける方法としては、本書の次の部分がその答えとなる。

父が晩年私に向かって、「ものごとや人が自分にふさわしいかどうかを判断するにはな、それがお前という人間をさらによくするかどうか、と考えてみることだよ」と言いました。これこそがプラス因子の定義です。

本当の責任

僕が本書の肝だと思った部分は、著者の「責任」に関する持論だ。

「人が取るべき責任ある行動はただひとつ。自分が心からしたいことをすることである。それが人生でもっとも責任ある行動であり、その人が負う最高の責任である」

普通、社会的に考えられている責任とは、「他人を困らせない」「家族や会社が期待することをする」といったものだ。

大学を卒業して会社に入る、働いて昇進を目指す、結婚して家庭を持つ……これらはすべて、「社会からの期待」であると言える。この期待に応えるため、人々は、生来のワクワクをあきらめてしまっても、それはしかたがないことだと思っている。

しかし、著者に言わせれば、こうした責任感は問題があるという。

世間のいう責任感の問題点は、それが罪悪感にもとづいている点です。罪悪感は怖れの感情に根ざしています。

世間の期待することをしないと、誰からも好かれないのではないか。世間の言う通りにしないと、人を怒らせるかもしれない。お金を稼げないのではないか。誰も自分の味方になっってくれないかもしれない。自分の好きなことをするのは定年退職してからでよい。そうしたら自分の夢を追ってもよい。

特に日本は「空気を読め」という言葉あるように、周りの期待に応えることがよしとされる風潮が強い。その根源は、上記の引用文で著者が挙げているような恐怖心にある。

しかし、恐怖心に根ざした責任感で生きていると、周囲の期待に応えることで精一杯になり、自分自身を犠牲にしてしまう。著者は、それこそが最も無責任な行為だと述べる。

自分自身に無責任な人は、家族や友人知人、仕事、ペットにさえ責任を持つことができません。なぜならその人からは、憂うつ、イライラ、怒り、恨み、不満、空しさなどが漂い、それがまわりの人間たちにも伝わるからです。
(中略)
人にとって最高の責任感とは、自分自身に正直になり、自分の心からの願いやニーズに忠実になることです。そうすることで、自分自身にとってもまわりの人間にとっても、ずっと魅力的な人間になれます。そうした生き方をしている人は、バイタリティにあふれながらも、心がゆったりと落ち着いて集中力があります。気力や体力が不自然に失われることがありません。自分のニーズを満たしている人は、家族や社会のために、より多くの貢献をすることができるのです。

補足しておくと、(当たり前だが)著者はなにも、会社に入ったり、結婚したりすること自体が駄目だと言っているわけではない。他人の期待に応えるために、自分の望みを犠牲にする生き方が駄目だと言っているのだ。

もちろん、自分の望みを追求するならば、一時的に貧乏になる事態も起こりえる。実際、著者も貧困に喘いだ時代があったという。だが、著者はそこで、妥協して就職する道を選ばず、自分の「ワクワク」に素直になる生き方を選んだ。その結果、次第に人とのつながりが生まれていき、ついには貧困から脱出して、成功できたという。

著者は、「ワクワク」を追求していれば、お金は向こうからやってくると述べている。それが本当かどうかは疑問が残るが、仮に貧乏で早死にしてしまったとしても、「イライラ」を溜め込んで長生きするより、自分の「ワクワク」にしたがって生きたほうが幸せではないだろうか。