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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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夢の見つけ方と必要性について

読書 雑記

現在、僕は精神病にかかっている。鬱と不安障害を抱えていて、苦しい日々を送っている。その中でいつも考えるのが、「自分はなんのために生きているのか?」だ。

生きる理由。将来の夢。そういうものがなければ、明日にでも自殺してしまいそうになる。僕にとって、夢を見つけることは切実な問題だった。

そんなとき、1冊の本に出会った。森博嗣の『夢の叶え方を知っていますか?』という新書だ。

この本を読んだことで、自分の夢を発見することができた。

夢の考え方

夢を見つけるには、まず夢について知ることだ。

本書によれば、夢には「職業的な夢」と「趣味的な夢」の2種類がある。職業的な夢とは、ビジネスで成功することだ。プロのスポーツ選手になることなどもこれに含まれる。一方、趣味的な夢は、ビジネスから離れた、個人的な趣味の夢のことだ。たとえば、世界中のあらゆるお菓子を食べたいなどがこれに当たる。

職業的な夢と趣味的な夢、どちらを志しても構わない。ただし、他人の存在が必要かどうかには注意が必要だ。

職業的な夢の場合、例外なく他人に認められることが前提になっている。商品を買ってもらう、ファンを獲得する、これらはつまるところ、他人から認められるということだ。

では、趣味的な夢なら他人は関係ないのか? それは、夢の内容による。上述の「お菓子を食べたい」なら完全に個人でできるが、子供を一流企業に就職させたいとか、派手な結婚式をあげたい等になってくると、他人を巻き込まざるを得ない。

ここで覚えておきたいのは、他人を巻き込めば巻き込むほど、夢の達成は難しくなるという点。なぜなら、他人には他人の意思があるからだ。無理やり自分の夢に付き合わせるような真似をすると、人権侵害になる。

たとえば、家族で田舎に隠居するという夢を持ったとしよう。いくらお金を稼いだとしても、家族の同意が得られなければ夢の達成は不可能だ。こういうとき、「なかなか家族の理解が得られなくて……」と言い訳しがちだが、そもそも実現が難しい夢を抱いたことが間違っていたといえる。

したがって、夢を達成させたいのならば、趣味的な夢で、かつ自分1人で完結する夢を考えるべきだ。特に僕のようなハンデ持ちは、他人を巻き込む夢を実現させるのは相当困難だ。

僕の夢

僕は、まず社会からなるべく離れたいと思った。不安障害だから社会活動がつらい。ひょっとしたら、症状が治ったら社会と関わりたくなるのかもしれない。わからない。だが、現時点ではあまり関わりたくないと思っている。それは確かだ。

しかし、よくよく考えてみると、現在でもけっこう社会から離れていることに気づいた。仕事はアルバイトだし、飲み会などもない。会社勤めや、それに付随する人間関係からは距離が置かれている状況だ。

もちろん、満足はしていない。独り暮らしができるくらいの収入は欲しいし、なにより健康が足りない。だが、現状でもそこそこ社会から離れてはいるのだ。

では、社会から離れてなにをしたいのか? それが一番の問題だ。

瞑想して考えてみたところ、創作をしたいという気持ちがあった。小説を書きたい。実は小説ではなくてもいいのだが、僕は絵が苦手なので、創作をやるとなると必然的に文章になる。文章で物語を書くとなれば、小説だ。

自分の中で一番といえる作品を生み出したい。それこそ、僕が本当にやりたいことだ。

ビジネスの話ではない。売り物にするかどうかわからないし、売り物にならなくてもかまわない。要は、自分の基準で最高の小説が書ければそれでいいのだ。

最高に面白い小説を書く。僕がやりたいことは、これだ。

僕は夢を発見した。改めて夢を言語化してみると、自分はこれのために生きるのだ、これがやりたいから自殺をしないのだ、と言えるようになった。

現実として、夢を発見したからといって元気になったわけではない。今後も病気に苦しみ、絶望する日々が続くだろう。だがそれでも、夢があるから生きていこうと思えるようになった。充分に価値があることだ。

今現在を楽しく生きている人には、夢なんて不要かもしれない。しかし、苦しみを感じている人にとっては、夢を自覚することは大きな意味を持つ。夢を見つけよう。生きるために。