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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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永遠の生を肯定する──ブラック・ミラー「サン・ジュロペニ」感想

海外ドラマ

ブラック・ミラーの「サン・ジュロペニ」を見た。同作の中でもかなり異色のエピソード。いろいろ考えさせられる。生命について。意識について。そして人間の未来について……。

ここから先はストーリーの核心に触れるので、そのつもりで。

このストーリーは一見すると普通のラブストーリーに見える。とある海辺の街、サン・ジュロペニ。そこで2人の女性が出会う。内気なヨーキーと活気あふれるケリー。2人は互いに惹かれ合い、衝突を繰り返しながらも距離を縮めていく……。

しかし見ているうちに、これがただのラブストーリーではないことに気づく。どうやらこれは仮想空間で行われていることらしい。そして中盤を過ぎたあたりで現実の世界が描写される。そこで明かされる真実とは、ヨーキーとケリーの2人は老人であった、というものだ。

もちろん、この驚きは視聴者に向けたものであって、2人はこの真実を了解している状況で恋愛をしている。つまり、サン・ジュロペニとは、余命わずかな老人が、若い頃の自分を再び謳歌するためのサービスなのだ。

だが、話はそれだけでは終わらない。サン・ジュロペニでは、なんと死んだ人物も暮らしているという。そう、この世界では、人間の意識をデータ化してクラウドにアップロードすることが可能になっているのだ。意識をクラウドに移行すれば、肉体が滅んだあとも生き続けることができる。しかも、若い頃の姿で。もちろん、クラウドに意識をアップロードするかどうかはユーザーそれぞれの意思に委ねられている。

さて、ここで対立がある。ヨーキーはとある事情から、肉体を捨てて自分の意識をクラウドにアップロードするつもりだ。そして彼女は、ケリーにも自分と同じ道を歩んでほしいと思っている。しかし、ケリーは肉体の寿命を終えたら死ぬつもりだった。娘と夫が待っている天国に行くつもりなのだ。

ケリーにとってサン・ジュロペニはただの遊びのつもりだったが、ヨーキーと出会ったことで、彼女の心は揺れる。はたして、家族が待っている天国へ行くのか、それともヨーキーとともにクラウドの世界で死後も生きるのか。

結局、ケリーはヨーキーを選んだ。その選択は祝福的に描かれている。そう、『ブラック・ミラー』では珍しくハッピーエンドなのだ。「かなり異色」とはそういう意味だ。

なぜ、バッドエンドが当たり前の同作で、このエピソードだけハッピーエンドなのか? たぶん、視聴者に問いかけたかったのだと思う。「この価値観を受け入れることができますか?」と。

『ブラック・ミラー』ではテクノロジーが生みだす悲劇について描いてきたわけだが、必ずしもテクノロジーは悪ではない。このストーリーのように、誰かを幸せにすることだってできる。それはひょっとしたら、現代人の価値観では受け入れられないようなものかもしれない。

現代に生きる人間は、往々にして「人間は老人になって死ぬのが正しい」と思っている。また、人間が仮想空間の中だけで生活するということにも反発する。たとえば、映画『マトリックス』が典型例だ。視聴者は、人間がマトリックスの仮想空間で暮らしているのは間違っている、だからそれに反抗するネオたちは正しいと、直感的に信じる。そういう価値観だからだ。

でも、それって本当に悪いことなのか? コンピュータの力を借りて、肉体が滅んだあとも永遠に生き続けるのは間違っているのか? そういったことを、このエピソードは問いかけている。

現実問題、これを架空の話と流すことはできない。医療技術の発展によって人間の寿命は伸びていくし、脳の機能が完全に解明されれば、意識だけを別の場所に移すことだって可能になるだろう。もし、そういう未来が生きている間に訪れたとしたら、あなたはどうするだろうか……。

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