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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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相手を幻滅させないという思いやり〜映画『ユー・ガット・メール』

映画

確か先週のことだったと思う。突然、スマホに「映画が安くなりました」という通知がきた。Google Playでは、ウィッシュリストに入れてある映画が値下がりすると通知で教えてくれるのだ。僕はずっと前に、なんとなく『ユー・ガット・メール』をウィッシュリストを入れていた。それが値下げされ、通知がきたというわけだ。

値段を見てみると、HDでも1,200円だったので、購入することにした。

それで、この前の休みに鑑賞してみた。今回は、その感想を書こうと思う。

ダイヤルアップ時代のラブコメ

『ユー・ガット・メール』は1998年のアメリカ映画だ。インターネットで知り合った男女の恋愛を描いたものなのだが、この時代のネット接続はダイヤルアップ式で、接続する際に「ピーヒョロロロ……」というFAXに似た音がする。たぶん、今の若い人はあの音の意味がわからないだろう。20代後半以上の人にとっては懐かしさを感じさせるはずだ。

『ユー・ガット・メール』のあらすじ

Wikipediaのあらすじがわかりやすいので、そのまま引用。

ニューヨークの片隅で、母親の代から続く老舗の小さな絵本専門店「街角の小さな本屋さん」を経営しているキャスリーン(メグ・ライアン)。彼女には同棲している恋人がいるがインターネットで知り合ったハンドルネーム「NY152」の彼とのメールのやり取りに夢中。

そんな時、キャスリーンの店のすぐ側に、カフェを併設した値引き商法の大型書店「フォックス・ブックス」が開店。どんどん客は奪われ売上は落ち続ける。このままではキャスリーンの店は潰されてしまう。実はこのフォックス・ブックスの御曹司ジョー(トム・ハンクス)こそが「NY152」の彼だった。キャスリーンとジョーは実生活では商売敵として顔を合わせれば喧嘩ばかり。だけど家に帰れば「Shopgirl」と「NY152」として、その日にあった事をメールで報告したり、お互いを励まし合う間柄に。メールを通じて、ふたりはますます惹かれ合っていく。お互い相手の正体に気付かぬまま…。

補足すると、キャスリーンだけでなく、ジョーにも付き合っている恋人がいる。しかし、2人とも恋人との関係は満足しておらず、キャスリーンに至っては恋人を愛していないことが序盤の段階であからさまである。

一方、ジョーは「フォックス・ブックス」の開店前に入った本屋でキャスリーンに出会い、彼女に惹かれるのだが、自分の立場を考えてそそくさと立ち去る。しかし、ブッククラブのパーティーで再会した際に正体がバレてしまい、それ以降は彼女からきつく当たられてしまう。

精神的に落ち込んだジョーは、メル友である「Shopgirl」とオフで会う約束を取りつけるのだが、約束の日、待ち合わせ場所のカフェにいたのはキャスリーンだった。そこで初めて「Shopgirl」の正体を知ったジョーは動揺し、一応は彼女に話しかけてみるのだが予想どおりに喧嘩になったことで、自分が「NY152」だと名乗らないまま店を出ていく……。

ジョーの紳士っぷりに学ぶ

以下、ストーリーの結末までネタバレ。

この映画には大資本対小資本という対立構造があるが、そこは特に重要ではない。この映画の肝は、キャスリーンに対するジョーの態度だと思う。

後半、あの手この手で再起を図るキャスリーンだが、安売り攻勢をかけるフォックス・ブックスには敵わず、ついに店を閉めることになる。

傷心のキャスリーンに、ジョーは改めて「友達になりたい」と申し出る。当初は反発していた彼女だったが、次第にジョーの誠実さに心を開いていく。

この時点で、ジョーはまだ自分が「NY152」だと名乗っていない。

ジョーが自分の正体を明かすのは、映画のラスト、キャスリーンがもう一度「NY152」と会う約束をしたときだ。約束の日、待ち合わせの場所で彼女が待っていると、そこに現れたのはジョーだった。すべてを察したキャスリーンは、涙を流しながら「あなたでよかった」という。

もし、最初のカフェで正体を明かしていたら、彼女はこういった反応はしなかったはずだ。キャスリーンにとって、「NY152」は紳士的で思いやりがある男性なのだ。その正体が自分の商売敵だと知ったら、彼女は絶望していただろう。

そのことを、ジョーはわかっていた。だからこそ彼女を幻滅させないために、ぎりぎりまで自分の正体を明かさなかった。まず、彼女の「ジョー・フォックス」に対する心証を良くすることに努め、その後に正体を明かすことにしたのだ。

キャスリーンは「NY152」の正体を知った瞬間、そんなジョーの誠実さも同時に理解した。だから「あなたでよかった」と言ったのだ。

ビジネスでは一切手加減をしなかった男だが、プライベートでは誠実に相手に接する。公私混同をしないということ。相手への思いやりとはなにかということ。ジョーの姿はまさに、模範的な紳士だった。

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