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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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【書評】『幸福について―人生論―』(ショーペンハウアー)

読書

幸福について―人生論―(新潮文庫)

幸福について―人生論―(新潮文庫)

『幸福について―人生論―』という本を読んだ。

作者はショーペンハウアー。過去に実在した、ドイツの有名な哲学者だ。Wikipediaの情報によれば、彼の哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に影響を与えたとされている。

原題は『処世術箴言』だが、それが「幸福について」という邦題になったのは、そっちのほうがわかりやすいという出版社の判断だろう。

邦題のとおり、本書は「幸福」に関するショーペンハウアーの考えが記されている。

ただし、そこに書かれているのは「普通の人が幸福になるための方法論」などではない。ショーペンハウアーは、天才と凡人をはっきり区別する。そして本書は、「天才が幸福になるための方法」について書かれたものなのだ。

では、天才以外の人が読んでも意味はないのか?

その答えはイエスでもあり、ノーでもある。

本書を読んでみると、ショーペンハウアーは、まだ自分の才能を眠らせている者、世間との違いに苦しんでいる者へ向けて本書を書いている節がある。

だから、自分が天才だとは思えなくても、世間との違いに悩んでいる人が読めば、なにかしら得られるものがあるだろう。逆に、世間との軋轢なんて感じたことがないという人にとっては、おそらく無意味だ。

本書の読み方について。現代人でも読みやすく翻訳されてはいるが、さすが偉大な哲学者が書いた本だけあって、一度読んだだけですべての内容を理解することは難しい。最初から全部を理解しようとするのではなく、気になった部分があったらハイライトしていくというような、拾い読みから始めることをおすすめする。

以下は、僕が気になった部分のメモだ。

必要以上にお金を稼ぐことに邁進するよりも、健康の維持と能力を磨くことを努力したほうが幸福になれる

精神的に幸せを感じなければ幸福にはなれない。しかし、かといって自らの精神だけに目を向けていればいい、というのは違う。精神は目に見えない、曖昧なものだ。成長させようと思って成長させられるものではない。それよりも、健康と能力という、はっきりしたものに目を向けるべきだ。健康を維持し、能力を磨いていく。そうすることによって、次第に精神も満たされていく。

内面の空虚さをごまかすために社交する

内面の空虚、意識の希薄、精神の貧困が、彼らを駆って社交界に走らせるが、さてこの社交界がまた彼らと同様の人間の集まりだ。

耳が痛い。人間は自分の弱さをごまかすために集団に入ろうとする。僕にもそうしたところがある。

多く笑う者は幸福だ、多く泣く者は不幸だ

明快な真理だ。しかし問題は、どうやったら多く笑うことができるか、だ。

不快な印象に対する感受性が強いほど、快的な印象に対する感受性は弱い

なるほど、確かにそうだ。ネガティブな事柄に反応しやすい人は、ポジティブな事柄にはあまり反応しない。

ということは、ネガティブ方面のアンテナが強い人は、普段から意識して幸福を感じる訓練をしていく必要があるだろう。

苦痛から遠ざかれば退屈が近づき、退屈から遠ざかれば苦痛が近づく

これも真理。個人だけでなく、広く社会に対しても同じことが言える。世の中から苦痛が減っていけば、そのぶん退屈が増えるだろう。

だからこそ、苦痛とは別の方法で退屈にそなえる必要がある。

知力が増すにつれて、苦痛を感じる能力もまた増す

つまり、「頭が良くなれば楽になれるわけではない」ということ。これに関しては『アルジャーノンに花束を』という作品がわかりやすい。

幸福は幻想、苦痛は現実

幸福は個人の頭や心が生み出すものだから実体がない。一方、苦痛は肉体的な反応だから必ず実体(原因)がある。

幸・不幸においては想像力に制限を設けるがよい

未来を憂慮したり、過去を振り返ってばかりいては幸せになれない。なぜなら、未来に起きるであろうことも、過去の思い出も、どちらも不正確で曖昧だからである。真実なのは、ただ現在だけ。故に人間は、現在を大切にすべきである。

現実の世界からいろいろなものが得られるなどという妄想を早期の啓発によって青年の心から断つことができたら、教育の効果はきわめて大であろう

「現実なんて基本的にくだらないんだから、そこから大切なものが得られるなんて思ってんじゃねーよ」と解釈した。

これは逆に言えば、なんで文学が必要なのか、ということでもある。

現実はくだらない。本当に大切なことは何も教えてくれない。そういったことを学ぶために、フィクションが必要なのだろう、と……。

幸福について―人生論 (新潮文庫)

幸福について―人生論 (新潮文庫)