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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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所詮「共感」は「主観」にすぎない

雑記

「共感」について、面白い記事があった。

gigazine.net

記事内では「効果的利他主義者」という用語が使われているが、結局のところ、どれだけ物事を客観視できるか、ということだと思う。

共感するとなぜ盲目になるのか。それは共感が主観にすぎないからだ。人は本当の意味で他人の気持ちを理解することはできない。だから「共感した」という感覚は主観にすぎなくて、もっとはっきり言えば「錯覚」なのだ。

困ったことに、共感ベースで動く人はこのことを理解していない。それどころか、「自分は他人を思いやれる、客観的な人間だ」と勘違いしている。だから自分の行動が本当に正しいのかどうか検討しないし、それによって長期的にはまちがった選択をしてしまう。

以前、別記事でコミュニケーションにおける共感の問題点について書いたけれど、物事の判断という面においても共感ベースで動くことは危うい。

共感が有効に働くのは、せいぜい目の前の人間を労るときくらいで、それ以外のシーンではなるべく客観的に判断したほうがいい。

「客観的に」というのは、「感情移入しない」ということだ。

共感によって人を助けるのは気持ちがいいが、だからといってそれが正しいわけではない。それどころか、人から「冷たいね」と言われるような判断こそが、世の中では往々にして正しいものだ。

上記の記事では戦争が例に出されているけど、これが経済や政治でも同じこと。共感という名の主観で物事を判断しているかぎり、それらが良くなることはない。