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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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「今の若者は〜」って、偉そうに言えることか?

社会

年配の人が書いた本を読むと、こういうフレーズがよく出てくる。「今の若者は甘えている」「甘やかされて育てられているから考える力がない」などというものだ。特に、社会的な成功をおさめた人ほど、このように主張する傾向が強い。

これは、本当だろうか?

「今の若者は〜」というからには、比較して昔は良かった、という意味を含んでいる。しかし、昔の人が今の若者と比べて考える力があったとは、僕には思えない。

ここでいう「昔の人」とは、今の年配者、つまり少年期が昭和の時代だった人を指す。今後は「昭和の人たち」と呼ぼう。

今の若者が、「昭和の人たち」より甘やかされているという点については、事実だ。家庭のしつけは、昔よりも緩くなった。極端なケースだと、しつけはまったくしない、というところもある。

しかし、だからといって、それが日本社会が苦境に陥った理由かといえば、それは違うだろう。

日本の雇用制度は、だんだん変わりつつあるとはいえ、現在でも年功序列制を採用しているところが多い。年功序列ということは、会社の偉い人は「昭和の人たち」ということだ。また、国の方針を決める政治家だって、トップは「昭和の人たち」だ。

つまり、現在の日本の経済不況や制度問題は、すべて「昭和の人たち」が舵取りをした結果だということになる。その点を無視して、今の若者に原因を求めようとするのは、はっきり言えば責任転嫁だ。

たとえば、「今の若者はすぐに会社を辞める。根性がない」という人たちがいる。なかには、「自分だけの時間がほしいなんて贅沢だ」なんて極端なことを口にする人もいる。

根性がないとか、贅沢だとか以前に、違法な残業が常態化していることのほうが問題じゃないだろうか。従業員を限界を超えて働かせておきながら、「根性がない」とかいうのは、人間としてどうかと思う。

そもそも、「自分だけの時間がほしい」って、そんなに贅沢な望みだろうか。誰だって会社のために働いているわけじゃない、自分の生活のために働いているのだ。自分の生活を犠牲にしてまで働きたくないと思うのは、当然のことだ。

また、現在の小学校のなかには、運動会で順位をつけないという方針のところもあるらしい。これも、「昭和の人たち」は気に入らないみたいだ。「競争心が失われる」とか、そんなことを言っている。

僕は、こういう教育があってもいいと思う。順位よりも、1人ひとり努力を評価するのだって立派な教育だ。確かに競争心は育たないだろうけど、でも、競争が人生のすべてじゃない。

教育には、正解というものがない。だからこそ、もっといろいろな教育方針の学校があっていい。学校は、もっと多様化すべきだ。

どうも、「昭和の人たち」は、根性や競争心を絶対視しているようだ。明らかにおかしい部分があっても、精神論で乗り切ろうとする。だから、制度の合理化が遅れるんだろう。

年々、鬱病患者が増えているという。この複雑な時代に、精神論を押しつけるから、鬱病になるのだろう。「昔は鬱病になんかならなかった」というけれど、現代は昔と違って単純じゃないんですよ、と言いたい。

こうして考えてみると、考える力がないのは、むしろ「昭和の人たち」だとしか思えない。もし、それは違うというならば、あなたたちが作った、この時代の困難さはなんなのかと問いたい。「今の若者は〜」なんて偉そうなことを言うのは、まず自分たちを総括してからにしてほしい。