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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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同じ感性の人とだけ付き合うか、それとも違いを受け入れるか、という話

社会

Twitterで『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』という漫画をアップロードしている人がいた。その漫画を読んで考えたことがある。人付き合いについてだ。

漫画の内容

漫画の内容はこうだ。ある日、好きなアニメが映画化した。作者は、それを友達と鑑賞したのだが、自分が最高だと感じたのに対して、友達は「最悪だ」と批判した。それ以降、そのアニメを見るたびに友達の批判が脳裏に甦ってきて楽しめなくなってしまった。だから批判はよくない、というものだ。

批判が悪いわけではない

既にTwitter上でいろいろな人が指摘しているが、あらためて言うと、別に批判が悪いわけではない。

漫画を読んでみると、友達が具体的に「最悪だった点」を挙げていたのに対して、作者は「最高だった点」をまったく挙げられていない。この作者は、友達に何も言い返せなかったのが悔しかったのだろう。その気持ちはわかるが、だからといって、批判という行為自体を否定するのは筋違いだ。

意見が分かれてしまった友達とどうするか

それはそうと、上記のようなケースを他にも経験した人はいると思う。つまり、「友達と自分で意見が180度分かれてしまった」というケースだ。

こういう場合、とるべき行動はふたつある。その友達と縁を切るか、または意見の違いを受け入れて関係を続けていくかだ。

前者の場合、基本的には、自分と感性が合う人とだけ交友関係を結ぶという人生になる。例の漫画は、ラストで友達からの映画の誘いを断っている姿が描かれているので、あの作者はこっち側なのかな、と思う。

同じ感性を選ぶか、違いを受け入れるか

自分と感性が合う人とだけ付き合いたい、そういう生き方もありだと思う。ただし、その場合、友達になれる人はかなり限定されてくる。また、ある作品では意見が一致しているからといって、別の作品でも同じとは限らない。それだけでなく、年齢を重ねれば好みにも変化が生じてくる。感性で人付き合いを決めることは、楽なようでいて、実は想像以上に難しい。

それよりも、「他人は他人、自分は自分」とあらかじめ覚悟して、意見が分かれても「まあ、そんなもんだよな」と割り切れるほうが、精神的にも楽だと思う。

いずれにせよ、どちらを選ぶのかは個人の勝手だ。そこに口を挟むつもりはない。僕が言いたいのは、「誰と付き合うか」以前に、「どういう人付き合いをしていくか」を考えたほうがいい、ということだ。

ちなみに、僕はアベンジャーズのなかではキャプテン・アメリカが一番好きなのだが、これはあまり同意を得られない。リアルで会った人に意見を求めると、「星条旗のコスチュームがださい」とか、「盾を投げることしかできなくて派手さがない」とか散々言われる。そのたびに、僕は握り拳を震わせているわけだが、それも含めて「キャップ体験」と割り切っている。そんなもんだ。

おまけ(この記事を書き終えて気づいたこと)

例の漫画は「批判は何も生まない」と結んでいたけれど、友達の批判のおかげで作者はあの漫画が描けたわけだし、その漫画のおかげで、こうして僕もブログが書けた。「何も生まない」どころか連鎖的にコンテンツを生んでいるわけで、やはり、批判と創造は切っても切り離せない関係にあることがわかる。