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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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インターネットは「普通の生活」の必需品になった

社会

Googleが難民に2万5千台のChromebookを提供、というニュースを読んだ

wired.jp

このニュースを読んで、「そうか、インターネットは『普通の生活』の必需品になったんだなあ……」と今さらながら思った。10年ほど前までは、生活必需品といえば「寝所」「食料」「衣服」の3つだったが、今はそれにインターネット(とネットにつながるためのデバイス)が加わったわけだ。

実際、自分の生活を考えてみても、ネット抜きの生活はもう考えられない。調べものをするときに使うのはもちろん、文書作成なんかもネット上で行えるようになった。また、LINEやTwitterといったコミュニケーションツールも、ネットにつながっている必要がある。それだけでなく、最近は、大切な資料やデータなどもクラウドで保存するようになった。

現代は、もはやネットがなければ、プライベート・ビジネスの両面で支障をきたすようになっている。文字どおり「生命線」だ。それは日本だけでなく、世界のほとんどの国々で同様である。だから難民たちにも、単に住処と仕事を与えればいいというだけでなく、ネット環境まで提供しなくてはならないわけだ。

そこで思い出すことがある。割と年を食っている論者に多い、「現代人はネットのせいでものを考えなくなった」という意見だ。僕はこの意見に懐疑的だ。確かに、ネット時代になって情報量が爆発的に増加したのはまちがいない。しかし、昔の人々が今の人々より頭が良かったとは、どうしても思えない。一般大衆の知的水準という意味では、昔も今も大差はないだろう。ただ、昔はネットがなかったから、あまり一般大衆の意見を目にする機会がなかっただけではないか。

もし、「ネットのせいでものを考えなくなった」という意見が正解なら、Chromebookを支給された難民たちは、これからもっと馬鹿になるということだろうか。さすがにそうは思えない。むしろ、僕に想像できるのは、ネットというツールを手にした彼らが、より勉強に励む姿である。

本来、ネットは人類の知的水準を向上させるために開発された。それ故、勉強したいと望む人にとっては大きな力になる。だが、そういう意欲がない人には、麻薬的な娯楽ツールでしかない。ネット時代になっても日本人の知的水準が向上していないと感じるのなら、それはネットが悪いのではなく、日本人の勉強に対する向き合い方がまずいのだろう。

ネットは「普通の生活」の必需品になった。衣服や食料と同じである。ならば、いつまでもネット悪玉論を唱えるより、適切な向き合い方を模索していくべきだ。