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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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考える力をつけたければ、スキマ時間を埋めてはならない

読書

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

「スキマ時間」という言葉はいつ生まれたのだろうか。気づいたら、いつの間にかこの言葉が当たり前になっていた。辞書で調べてみると、「予定と予定の間に生じた短時間の暇、ちょっとした物事に取り組めるわずかな余裕などを意味する語」とある。個人ブログやニュースサイトなどでは、このスキマ時間をいかにして有効活用して生産性を向上させるか、というテーマの記事が何度も書かれている。

僕は以前から、スキマ時間に対しては、「そんなに無理して暇を埋めなくてもいいじゃないか」と思っていたのだが、先日、ショーペンハウアーの『読書について』を読んでいて、その思いをさらに強くした。

『読書について』に、こんなことが書かれている。

自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ。これを実践すると、生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識が仇となってますます精神のひらめきを失い、またあれこれ書き散らすと、ことごとく失敗するはめになる。

本当に生産性を向上させたいなら、自分なりの考えというものを持たなければならない。そして、自分なりの考えを持つためには、まず自分だけの力で考えてみることが必要だ。しかし、何も考えがない段階で、本を読んだりネットの記事を読んだりしていては、他人の考えに囚われて、自分で考えることができなくなってしまう。まして、スキマ時間を埋めてまで勉強していたら、脳が疲れ切ってしまうだろう。

予定と予定のあいだに生じたわずかな余裕の時間には、やはり自分が好きなことをして、休むことが大事なのだ。その休息の時間が、脳に新たなエネルギーを与え、考える力が湧いてくる。

現代人はスキマ時間を埋めることに躍起になっている。特にブロガーと呼ばれる人種は「生産性」という言葉に敏感で、意識が高い人ほど、暇ができたらとにかく情報を入手しているイメージがある。彼らの合言葉は、「インプットがなければアウトプットできない」だ。人間である自身のことを、まるでコンピュータのように言うのだ。

しかし、人間はコンピュータではない。「インプットしたぶんだけアウトプットできる」というような単純な存在ではないのだ。生産性(または独創性)を養いたければ、暇な時間は思い切って休むことが必要なのである。