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姫呂ノート

散文的な個人ブログ

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『シャイニング』はキングの小説版よりキューブリックの映画版のほうが面白い

読書

シャイニング(上) (文春文庫)

シャイニング(上) (文春文庫)

シャイニング(下) (文春文庫)

シャイニング(下) (文春文庫)

「すまない、キング。これはつまらない」──それが、僕が『シャイニング』を読み終えたときに湧き上がってきた素直な感想だった。

読み始める前は、良い書評が書けるだろうと期待していた。なぜなら、僕は映画の『シャイニング』が大好きだったからである。だから、スティーヴン・キングの原作小説も、きっと気に入るだろうと思っていた。

しかし、それは間違いだった。読み進めるほどに「キューブリックの映画のほうが面白かった」という気持ちがだんだん強くなっていった。そしてラストの展開を経て、その気持ちはより強固なものになった。

以下に、その理由を述べよう。

ストーリーの描き方

キングは、ひとつひとつの事柄を詳細に描いていく。トランス一家がそれぞれ抱えている悩みや、ホテルの歴史をあますところなく読者に開示する。一方、キューブリックは大胆に展開をカットする。「いちいち説明しなくてもわかるだろ?」というふうに、ストーリーのバックグラウンドは仄めかす程度に明らかにされる。

小説版のほうは、丁寧といえば丁寧なのだが、そのかわりに映画と比べるとスピード感が殺されている。僕が小説版を読んでいてうんざりしたのは、終盤、コックのハローランが救援に駆けつける一連の流れだ。映画版では、ハローランがホテルに向かう様子は、必要最低限だけに留めているのに対して、小説版は、ハローランが何を思い、ホテルに着くまでにどんな困難に見舞われたのかを逐一描写する。「そんなことより、ホテル側の状況を見せてくれよ」と何度つぶやいたことか。

このほかにも、キングの小説版は説明的なシーンが多い。反対に、キューブリックの映画版は、説明的な部分を極力省き、テンポよく進んでいく。また、キューブリックは画に非常にこだわる映像作家なので、どのシーンを切り取っても美しい。そのため、映画版を見たあとでは、小説版はどうしても退屈になってくるところが多々ある。

最後のオチ

今回、小説版を読んでみてびっくりしたのは、最後、ホテルが爆発してしまうことだ。このオチを見たとき、それまでホラー小説だったのが、いきなり冒険小説に変わってしまったかのような錯覚を受けた。もちろん、映画版ではそんなことはない。恐怖のホテルは健在である。

恐怖の余韻

上記のオチのほかにも、小説版と映画版では決定的に異なる部分がある。それは、主人公ジャックの最後に関する部分だ。小説版では、ジャックは今わの際に一瞬だけ正気を取り戻し、息子ダニーと和解する。それに対して、映画版では、ジャックが正気に戻るような展開は一切ない。真冬の雪のなか、ダニーを追いかけている最中に力尽きて死んでしまい、その魂は完全にホテルに取り込まれてしまう。

つまり、小説版が一応のハッピーエンドを迎えるのに対して、映画版では諸悪の根源であるホテルはそのまま。また新たな犠牲者が出るのでは、という予感を残している。

エンターテイメントとして王道なのは小説版のほうだが、事件がすっきりと解決しているため、かえって面白味がない。ホラー物には、ストーリーを鑑賞したあとにも恐怖が残り続ける、「恐怖の余韻」とでも言うべきものがあったほうが良い。その点を踏まえると、やはり映画版のエンディングのほうが面白い。

ひたすらホラーを描くことに注力したキューブリック

同じ題材なのに、キングの小説版とキューブリックの映画版でなぜこうも違いが出たのか。それは、単純に小説と映画というメディアの違いだけではなく、ふたりの作家が、題材をどう描こうとしたのかに関係している。

キングは、ホテルの恐怖に人間ドラマを絡めて描こうとした。そのため、ジャックとダニーの和解の結果としてホテルを爆発させることになり、恐怖は薄れてしまった。一方、キューブリックは原作小説にあった人間ドラマを徹底的に排除し、ひとりの男が邪悪なホテルに囚われていく様子だけにひたすら注力した。その結果、映画版はホラー映画史にその名を刻む傑作となった。

余計なものを排除し、ひとつのことを突き詰めようとするキューブリックの姿勢。それこそが、『シャイニング』という映画を、原作小説を越えた作品にしたのである。

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